void-dance:


I KNEW IT!

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I KNEW IT!

(Source: generic-art, via nmmeri18)

"大衆に人気のあるものは、既に終わったものであって、これから来るべきものではない。"

MORI LOG ACADEMY: お笑いに不必要なもの (via ada) (via veadar) (via tsupo) (via gkojay) (via tanekichi) (via futureisfailed) (via reretlet) (via nmmeri18)

"死にたくなったらどこでもすぐに眠って良いことにしてほしい"

Twitter / inmni (via kazukij)

(via nmmeri18)

nock-nock-nock:

小松 菜奈

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小松 菜奈

(Source: tabio.com, via nmmeri18)

"人は変わってゆくんだよ。それは、とても残酷なことだと思う。でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ。"

— 木皿 泉「昨夜のカレー、明日のパン」 (via xomorickyxo)

(Source: marikoyama, via nmmeri18)

"「階級はなんのためにあたえてあるのか? 命令違反するときを判断できる者にあたえられているのだ。規則どおり、命令どおりするだけなら、貴様は将校ではなく、兵士でよい」とウイリアム皇太子。
 これ以来、軍隊の階級の意義は、この考え方が世界の常識となっている。"

戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方 / 松村劭 (via ebook-q)

(via kazukij)

"

・今年の巨人の優勝の理由として、
 「ここぞという試合」に勝ってきたから、
 と説明されていることが多い。
 このチームの年間の勝率は約5割7分だから、
 だいたい半分弱は敗けているということになる。
 「ここぞという試合」も、
 「なんか目立たなかった試合」も、
 一勝は一勝、一敗は一敗なのだから、
 いかにもなんでもなさそうな試合でも、
 敗けてよかったということは、まったくない。
 
 じゃ、「ここぞという試合」とは、どういうものなのか。
 それは「どちらも勝ちたい試合」であり、
 「どちらも敗けられない試合」ということだ。
 敗けるとダメージが大きくて、
 勝つと希望が見えてくるような試合というものがある。
 敗けた「痛手」も、勝ったおかげで生まれた「希望」も、
 どちらもかなり精神的なものだと言える。

 考えてみれば、ものすごく鈍感なチームが、
 敗けても元気いっぱいで翌日から勝ち続けたら、
 「ここぞという試合」じゃなくなるし、
 勝ったチームがせっかく勝ったのに悲観的になっていて、
 「ツキを使い果たしたかも」なんて言ってたら、
 「ここぞという試合」の勝敗の意味はなくなる。
 そういうことも知っているから、
 監督などは、敗けた後に元気な態度でいようとする。
 平然と「ここまでは想定内」みたいなふりをする。
 でも、やっぱり事実はごまかせるものではない。
 
 勝率を計算するときには意味のない、ひとつの勝ち星だ。
 なのにそれが、こころに影響するというのがおもしろい。
 戦略だ戦術だ、技術だ練習だというけれど、
 その上で、こころの有りようが、たいそう大事なのだ。
 ‥‥というようなスポーツ談義をしていたら、
 ふと「経済」のことを思いだしてしまった。
 「いいかも」「だめかも」というメンタルな要素が、
 大きく景気に作用しているというではないか。
 実にまったく、こころというのは、すごいものだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
元気でいることの上手な人って、すごい技術を持っている。

"

— ほぼ日刊イトイ新聞2014年9月29日の「今日のダーリン」

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Look I’m a letter! (via Lif…)